36歲那年我閃電結婚,卻已是別人眼中的晚婚。曾經,我和他都一致地同意不要生小孩。但是過了40歲後,我突然反悔,變得非常想要有個孩子。我花了1年半的時間說服先生,之後去到了不孕治療專門醫院時,才發現為時已晚,醫生說我的身體已經接近停經狀態了。研究過後才知道,明明是先進國家的日本,對於不孕症治療的想法居然如此傳統守舊,觀念被遠遠拋在後頭。在一個偶然的情形下,看見了「卵子提供 (借卵)」這個詞語。用別人的卵子懷孕?這種事有可能做到嗎?這令無知的我大為震驚,同時,心中卻也燃起了一絲希望的光芒。
在當時,洛杉磯、泰國和韓國等國家都可以合法借卵。仔細地查找過後發現,如果是在台灣借卵的話,不僅不需要代辦人,比起其他國家的費用更是便宜合理許多,因此我決定選擇台灣的醫療環境,也比較了不少家台灣的生殖中心。其中,送子鳥生殖中心,不管是在統計數據方面,或對捐卵者的健康篩選都非常確實,並且不只針對日本人,就連其他國家的客戶也有一定的實績,讓我感到很安心。
此外,這裡的員工雖然不是日本人,但總是陪伴在我們身邊、為我們解答各種疑惑,文書審查的流程也很順利,讓我們直到最後都覺得非常滿意。
低潮和擔憂煙消雲散,留下的只有幸福和喜悅
我先生他一開始就說過不想要小孩,也很反對我走這條路;同時我也擔憂,也許是男性對於高齡產婦的認識不足、不了解現狀等等,但是這些煩惱在我第一次見到送子鳥生殖中心的醫師後就頓然消失了。O醫師溫和的舉止與風度、整潔地診所環境、不需要遮遮掩掩的看診氛圍、借卵並不是什麼奇特的事,這種感受讓我覺得很棒。
其實,小孩不會帶有我的基因而是捐贈者的基因這個事實,一直在我腦海裡揮之不去。但是,經歷了懷孕、生產疼痛與照顧小寶貝的過程,發自內心滿溢出來的母性本能,讓我漸漸從負面思想中跳脫出來。我從不後悔做這個決定,因為增添家人的喜悅更勝一切。
給還在考慮中的你們:借卵這道高牆,只要夫妻兩人齊心協力就一定可以跨越。雖然過程並不全是快樂的事,但比起在日本接受過無數的治療要來得更輕鬆、沒壓力,過去的悲傷淚水、種種的辛苦與回憶,彷彿不曾有過。希望你們嘗試借卵生子也能一路堅持,最後一定能品嚐到幸福的滋味。
私は、結婚したのが36歳でいわゆる晩婚でした。
彼とは、スピード結婚で、子供はいらないとお互いの意見も一緒でした。
ですが40歳になり、私だけ振り返ると急に子供が欲しくなりました。
夫を説得するのに、1年半かかり、不妊専門の病院に行った時には、もう遅いと気付きました。私の体は閉経に近いと言われました。調べてると先進国なのに日本の不妊治療の考えが古く、取り残されてると知りました。そして、たまたま卵子提供という言葉が目に飛び込んで来ました。
他人の卵子で妊娠?そんな事が出来るの?
と無知な私は驚きました。でも、私の中に希望の光を感じたのも確かでした。
ロサンゼルスやタイ(当時)、韓国など色々な国で合法なんだと、わかり、ひとつひとつ調べでいくと、台湾だとエージェントも要らず、金額も安く、卵子提供受けれるのだと、知りました。私は台湾に絞り、病院の比較をしました。
コウノトリ生殖医療センターは、データや卵子提供してくださる方の選出もしっかりされていて、日本人向けだけのアピールをしていなく、日本人以外の実績が結果的に安心出来ました。さらに、スタッフさんも日本人ではなくても、いつも寄り添って相談にのってくれたので、書類もスムーズに、最後まで気持ちよく過ごせました。夫は、初め賛成はしませんでした。元々、子供も要らないと言っていた人ですから。ですが、男の人の高齢妊娠の認識の低さや、現状を知り、初めてコウノトリ生殖センターで院長先生にあって、すっかりわだかまりが消えたようでした。先生の物腰の柔らかさやセンターの清潔感とセンター内でこそこそしなくていい雰囲気卵子提供は特別なことではないという雰囲気が良かったと思います。
私の遺伝子ではなく、提供者の遺伝子という事実は、頭から離れる事はありますん。でも、お腹を痛めて産むと、限りなく湧き出てくる母性本能と赤ちゃんのお世話していく中で、少しずつ負い目から解放されています。
後悔はしていません。家族が増える喜びの方が大きいからです。
これから、卵子提供される方、卵子提供は夫婦で乗り越えれる壁だと思います。全てがハッピーではないけど、日本で治療するよりずっと、楽です。ストレスないです。日本で大変な思いして、泣いていたのが嘘のように解放されます。
そして、出口が見えることに、夫婦で喜びを噛み締めてほしいと、心からエールを贈ります。
40代サエコ
客戶在送子鳥借卵成績:
取出卵子
成熟卵子
正常受精
好囊胚
植入胚胎
結果
20顆
20顆
19顆
15顆
1顆
活產